誰かを、何かを好きになれることは圧倒的に楽しいことです。うれしいし。人に優しくしたり、されたり、好きだという気持ちを表したりできることは、生きてる中であって欲しい幸せだと私は思います。そうする余裕が持てないだとか、自分のためだけに生きるとは(そんなことありえないと思うんだけども)想像するだにつまらない。自給自足的であるよりも、いっぱい出していっぱい貰うほうがうれしい。自分のためだけにごはんを作るより、食べてくれる人がいる方が、百倍楽しい。たぶんこれは誰でもそうだと思うから(そうじゃないかもと思ったら不安になった。足場が揺らぐ)、そうさせてもらえたことに、その相手に、感謝するというのは、だから、当然のことです。
で、楽しそうなもの、幸せそうなものに人は惹きつけられるので、私はヲタが好きなんだろうな。もちろん好きなものを共有しているというのはあるけど、それ以上にヲタだけじゃなくて、自分の好きなことを語る人は誰でも、楽しそうに買い物するカップルや日曜の朝の巣鴨のおばあちゃんと孫と同じく素敵なはずなのです。
でもそうじゃないように見えることも確かにあって、何でだろうと考える。分かち合えないように思うから?ひとりよがりだから?気持ち悪いから?


関係ないけど、最初にハロプロを好きになったのはそれが「痛々しい」と感じたからで、「痛々しい」って感じることは「愛しい」って感じることに相当近くて、幸せになってほしいという祈りだと思ってるんだけど、賛同は得られるもんかしら。上から目線にしか感じられないかしら。ジュディマリ時代のYUKIとかも痛々しいよなあ。切実なものは愛しいよなあ。結局尊敬しちゃうことがたいてい。