11月24日のファイナルに行ってきました。正直言ってベストな公演ではなかったけれど行って得たものはありました。もちろん。もうネタバレとかないけどたたみます。
となりのおさるさんが前のかわいい子供と遊びすぎw昼公演は前が子連れ夫婦でお子さんを抱き上げての鑑賞だったのでリアルに壁でした。となりが空席じゃなかったら、本当に見えなかったと思う。きちんと注意するのが親切だとは思ったのですが、言えなかった。反省。見えないのとものすごく気が散るのはやっぱり問題だなあ。あとは4列くらいまえの男性のジャンプがすごい高さで感心するレベルだった。でも見えなかった。夜もとなりが空いていたのでふたりで4席くらい使ってしまいましたが、前の席の方がめちゃくちゃな頻度で振り向いてきてものすごく気が散った。視線の方向が交差するのは痛い。あと後ろの男性二人組みがバラード中(灯台、ダブルレインボウetc)しゃべってて悲しかった。またも注意できない自分を恥じる。さらに視界のどうしても避けられない前方中央に今ツアー初めてのヲタ芸の人。引っ越せない気持ちでロマンスを打ってくださったので、一曲まるまる目をつぶりました。これもまた泣きたかった。結局コンサートは周りの人とも作るものなんだと思ったツアーでした。席番とかより周りのヲタ。そういう意味でのベスト公演は中野日曜の夜。しかし違う楽しみ方の人を許容できないのは、私が狭量だからなのだろうか。
昼公演は100年の恋も覚めるほどの歌詞飛ばし。絶望した。のっていけなかったのは私のコンディションもあったかもしれない。ただそれから歌詞とばしのなにが悪いかを考えた。前に譜面台を置けといったことにも関連します。歌詞飛ばしをすることについてはなぜかとかわからないし、単純に間違いとかのレベルではないような気もしたからとりあえずスルーして、ここではそれの産む悪影響(私において)を述べたい。結局はテンション(本来の意味での気持ちの張り)が失われることが問題なのだと思う。先日セットリストについて述べたときに緊張と弛緩というか、聞き入る曲とノる曲との繰り返しにより生まれるダイナミズムみたいなものがコンサートを作ると言いましたが、それが失われるのです。また飛ばすんじゃないかと変に緊張してしまって乗り切れなかったりね。心配しに来てるわけじゃないのに。失敗するのが全て悪いわけじゃないし、少々はいつものこと、でそんなこと関係ないと思えるようなパワーのあるパフォーマンスを見せてくれる亜弥ちゃんが好きです。やっぱり好きです。でも、ひどすぎたよ。なにか2時間かけてステージ上の演者と観客が一緒になって積み上げていくものに水をさされてしまったと感じた。
夜はちゃんとできてました。でもやっぱり無駄に心配してしまってハラハラしてしまって全力で向かえたか自信がない。もしかしたら2%くらい出し切れなかったかもしれない。そのせいで周りの人のことが気になってしまったかもしれない。それがなければ、つまり昼公演に入らなければもしかしたら120%楽しめたかもしれない。それが残念です。あとやっぱり昼公演だけで帰っていく人をみて、これが松浦亜弥だとは思って欲しくないと思った。夜公演で目の前にいたひとり参加の初めてらしいお兄さんは楽しんでくれていたと思う。それは救いだ。
ファイナルスペシャルの「可能性の道」という曲の選択には納得することしきり。聞けてよかった。
あとは今後ひとつのツアーで5公演以上は入らない誓い。当然昼夜も避けたい。初日・ファイナル・真ん中の関東くらいにしぼる。やっぱり自分の中の水位・渇望を大事にしたい。当たり前になりたくない。ツアーを通して公演のできにやはり歴然と差はあるけれど、比較してどうではなく一回一回を貴重で尊いものとしておいておきたい。持続可能なヲタ活のために。