11月6日キサラギを見に池袋の新文芸座に行きました。

知る人ぞ知るアイドル如月ミキが自殺をして一年が経ち、一周忌追悼会に集まった5人の男たち―家元、オダユージ、スネーク、安男、イチゴ娘。ファンサイトの常連である彼らはそこで初めて顔を合わせた。それぞれオタク心を通わせながら、彼女の思い出話に花を咲かせる。誰しもが「自殺なんかする娘じゃない」と思っていた。そして誰かが「彼女は殺されたんだ」と。この発言をきっかけに、男たちの侃々諤々の推理が始まった…。

評価の高い話題作らしいですね。普通に薦められるおもしろい映画。DVDが来年1月に出るらしいので、そうなったらもう一回見てみたいなあ。「12人の優しい日本人」を思わせる密室コメディなので、好きな人はぜひ。香川照之がすごかった。映画を見に行くのが久しぶりだったせいもあって「ああ、しょうもないけどおもしろかったなあ」という気持ちで映画館を出ました。関係ないけど今日本で映画を見ている人ってのがいまいちリアルに浮かばない。この映画を絶賛している人はどんな人なんだろう?低い評価を下している人はメッセージ性がないとか使い古された演出とかが嫌らしいのですが。
とりあえずネタバレなので隠します。以下ヲタ視点で。
イントロの切り抜きファイルを並べるシーンから強烈なデジャブ。カラオケとかでの自分たちの行為を覗かれるようなざわざわ感。途中の生写真をさわるのに白い手袋をするシーンなど、つくりがいちいち身につまされるのだ。ヘアヌード写真集に対する意見とかも。あとは「ミキ」という名前はこのタイミングだとどうしてもどうしたって美貴ちゃんを想起させる。偲ばれるアイドルを私たちはたくさん持っている。見ていく間にアイドルとしての如月ミキが3年間の活動をたった5冊のファイルに集約されるようなマイナーアイドルなのだとわかってくる。最後に映る本人映像がなかなかに相当かわいくなくて「これじゃ売れなくてもしょうがねえなあ」という笑いが起こるくらいの感じ。そのぐずぐずさは変に納得した。最後に判明する死因が、如月ミキがだたの人間なのだということが納得されるほどにほんとにしょうもないのも帳尻があっている。
この話のヲタ的なキモはやはり「アイドルとのキョリ」に対する考え方だと思った。作中のヲタはとりあえずアイドル「如月ミキ」とのキョリの近さを志向しているように見える。心の距離、物理的な距離両方において。結局5人のヲタの中には身内が含まれているのだけど、とにかく自分がいかに如月ミキの近くにいたかを競うシーンには違和感を覚えた。みんなで応援することに意味はあるけど、対象との距離感を見失っているように思ってしまう。脚本を書いた人のアイドル観に対する違和感なのか。室生犀星のふるさとのように「アイドルは遠くにありて思うもの・・・」なのじゃないのかしら。そのパフォーマンス以外のところが俎上にのるのは好ましくないと感じる。でも人より優れたところがなくて歌もダメ演技もダメ、ヘアヌード写真集を出すぐらいしか能がない「如月ミキ」は違ったのだろうか。ここでは「アイドル=偶像」か?
考え残しているのが、縦と横の関係のこと。三角形の上の頂点がアイドルで下辺がヲタだとしてヲタの世界にはやっぱり縦と横の関係が成立するはず。たくさんの上への志向性が頂点に集約されるような図式であると同時に下辺の点同士の関係性もあるはず。さらにハロプロのように上部の頂点が複数ある場合ってどんなだろ。
最後のヲタ芸まがいのダンスシーンが、宝塚の最後のシーンと同じように大団円にもってくので、その前の良くわからない感傷的なシーンもあんまり気にならないんでしょうね。まあもうちょっときっちり踊りきって欲しかった。見た後はなかなかすっきりです。オチはよくわかんなかったけど。もう一回見てからもう少し考えてみたい。
あと蛇足的にこの論争がなかなかおもしろかった。ネタバレ!上で書いた「日本で映画を見ている人ってのがいまいちリアルに浮かばない」の答えが少しほの見えました。主観的評価と客観的評価基準を切り分けると言うのはなんかわかるなあ。ダメダメだったけど楽しかったコンサートとよくできているのにつまらなかったコンサートってあるもんなあ。
「ミキがかわいそう(完全にネタバレしています)」キサラギ|映画情報のぴあ映画生活掲示板

あ、名画座で800円なら★★★★☆だけど1800円払ってたら★★☆☆☆くらいかも。コストパフォーマンスは大事だ。なんにせよ。